渡辺樹庵 東京ー群馬食べある記
2005.4.15up
本誌でも「東京ー群馬食べある記」コラムを掲載しているラーメンコンサルタント渡
辺樹庵が、もうひと言いいたい!と・・・。流行のラーメンテーマパークについて独
断と偏見で語る追加辛口コラム!!
今だに出店ラッシュが続いているラーメンコンプレックス。それに水を差すようで悪いのだけど、僕は「ラーメンコンプレックスのピークは越えている」と見ている。
これからは間違いなく、淘汰される時期になる。
今までの流れを追ってみる。
1994年に「新横浜ラーメン博物館」がオープンしてからしばらくは、まったく動きがない。
「新横浜ラーメン博物館」はおかしなほどに盛況していたが、まだ誰も「集客力を持つコンテンツ」としての魅力に気が付いていなかった。
2001年4月には、「一風堂」の河原氏らが中心となり、「小樽運河食堂ラーメン工房」がオープンするが、一部のラーメンフリークが騒いだだけで、大きな波にはならなかった。これは小樽の観光客を狙ってのものだったのか、この施設自体に集客を求めたのかは分からない。まだこの時点では、ラーメンコンプレックスの「長所」も「短所」も分からず、コンセプトが曖昧だったんじゃないかな、とも思う。
動きがあったのは、2002年10月。大阪に「泉ヶ丘ラーメン劇場」がオープンする。これには企画会社が絡み、ラーメンによる付随施設の集客を期待した。ディベロッパーが登場したことで、ここからラーメンコンプレックスが大きく動き始める。
そして2003年の後半に爆発する。1月・熊本「ラーメン城下町」、9月・宮城「ラーメン国技場仙台場所」、10月・大阪「大阪ヌードルシティ〜浪花麺だらけ〜」、11月・千葉「千葉ワンズモールラーメン劇場」、11月・埼玉「武蔵浦和駅前ラーメンアカデミー」、12月・大阪「明石ラーメン波止場」など、全国で次々とラーメンコンプレックスがオープン。「集客をしたい・目玉を作りたい施設のオーナー」「ディベロッパー」「出店したいラーメン屋」の三者の思惑が一致したため、これだけの出店ラッシュになった。
2003年の12月には、「麺喰王国」が東京・渋谷にオープン。これまでは主に、付随する施設への集客を目的としていたため、郊外であったり交通の便のあまり良くな場所に出来ていたのだが、ようやく都内の一等地にも進出する。今考えると、このあたり(2003年終わり〜2004年初め頃)がピークだったように思う。
出店ラッシュは2004年になっても続き、2月・東京「池袋ひかり町ラーメン名作座」、2月・青森「津軽ラーメン街道」、3月・神奈川「小田原城下らーめん宿場町」、7月・神奈川「ラーメン甲子園」、10月・北海道「札幌らーめん共和国」、12月・東京「品達ラーメン麺達七人衆」などがオープン。2005年に入っても、1月・東京「ラーメン国技館東京場所」、2月・愛知「名古屋麺屋横丁」など、勢いは続いている。
ただ出店ラッシュとは裏腹に、2003年の途中から、売り上げに苦しむ施設・ラーメン店が出てくる。お客側の飽きもあるだろうし、ディベロッパー側の甘い読みもあるだろうし、理由は様々考えられるが、オープンすれば必ず当たる、という状況ではなくなった。オープン景気の期間も徐々に短くなってきているし、オープン景気後の数字の落ち方も著しい。「ラーメンは集客出来る」という神話は崩れたと言ってもいいのではないだろうか。
そんな中、2005年2月に、東京「麺喰王国」がわずか1年強で閉館する。全国でも初めての閉館だ。簡単に説明すると、こういう流れになる。
路面店に比べ家賃が高いため、売り上げの下がった店舗が撤退
→勢いのなくなった施設に、高い家賃を払ってまで入る店舗はない
→代わりが見つからず、空き店舗となる
→空き店舗は売り上げがないため、運営側の家賃収入が減る
→閉館
これと同じような道を辿っている施設は他にもあり、「麺喰王国」の閉館が呼び水となり、今年中にはいくつか閉館するのではないか、とも僕は予想している。
以上が、2005年3月末での状況になる。
少し前に、ある施設に入っていた店舗のオーナーが、「ディベロッパーの説明と実際の数字に大きな開きがあった」というような内容を、雑誌に告発したことがあった。オープンする前には、当たり前だけれど、「おいしい話」として持ってくるわけだ。これくらいの来客を見込めて、これくらいの売り上げは見込めますよ、と。けれど、もうこれだけ前例が出ていれば、その数字が現実的なものかどうかの判断は出来る。
となれば、喜んで出店しようとする店舗は限られてくる。味にこだわる個人店が、無理をしてまで出店しようとはしなくなる。体力やノウハウのある、多店舗展開をしている会社が主になる。魅力のないコンプレックスが出来上がる。そして、、、。
これから生き残るコンプレックスは、何もしなくても人がいるような、一等地にあるものだけではないだろうか。一等地にあり、その上で適切な営業努力をしている施設しか生き残れない。これからのコンプレックスは、それくらい難しいものだと僕は見ている。
わたなべ じゅあん/高校生の頃から食べ歩きと同時に自宅でラーメンを作り始める。
大学卒業までに全国2000軒以上食べ歩き、01年プロデュース業を開始。02年高田馬場に自身の店「渡なべ」をオープン。05年4月1日現在、17軒をプロデュース。05年4月下旬に直営店を出店予定。
<<
戻る
▼ラーメンコンプレックス-バックナンバー
---------
|
個人情報について
|
Copyright(C) 2003 Newsline,Ltd.
本サイトに掲載された記事写真の無断転載、複製、改変その他一切の行為を禁止します。