発足以来の総会員数は300名以上。失われかけた技を「型」にして残す
お邪魔したのは、会長の福王寺三千代さんのご自宅。応接間の戸棚には、大小無数の栃尾てまりが並んでいる。
「栃尾てまりの会」会長・福王寺三千代さん。ユーモアを交えながら、てまりの文化を残すだけでなく「楽しむ」ことを伝えてくれる
それにしても、後ろに並んでいるてまりのバリエーションのすごいこと。これはすべて会長さんが作られたんですか?
福王寺三千代さん(以下、三千代さん) そうですね。伝統的な柄もあれば、自分のオリジナルのものもあります。オリジナルの図案はいろいろなものを見て参考にします。
伝統的な柄のバリエーションもすごいですものね。しかも、それぞれに意味があって。
三千代さん 伝統的な柄は30くらいかな。もともとは昔、子どもの遊び道具に親が作ってあげたというのが始まりですから、めいめいで好きに作っていたんでしょうけど。栃尾の各谷(*1)にそれぞれで作る人がいたものを、昭和58年(1983年)に栃尾市(当時)がまとめて展示してみたら、すごくたくさん集まったんだそうです。
*1山がちな栃尾では集落が谷ごとに形成されたため、今も集落を「谷」と呼ぶ人がいる。
そこから「栃尾てまりの会」が始まった?
三千代さん 栃尾のてまりは、もともと名児耶チハルさん(*2)という方が伝承されていたんです。市の無形文化財になった方で。その技術を無くしてはいけないということで、会が立ち上がったの。
和田千鶴栄さん(以下、千鶴栄さん) あの人は、てまりに使う糸も一から自分で作っていたんですよ。蚕を育てて、絹糸を取って。草木染めで色も出して。
三千代さん 名児耶さんは「てまりの会」の会員ではなかったけど、どこかに講習に行く時は一緒に行ったし、私たちも名児耶さんに教わりながら、一緒にやったね。
*21904〜1994。栃尾てまりの最後の伝承者とされ、1968年に栃尾市文化財準指定、1982年に栃尾市指定無形文化財となった。ここで三千代さんがいう「市」は旧栃尾市のこと。
「江戸友禅」(左)に「むらさき友禅」(右)
なるほど。その後の人口減少などを考えると、そのきっかけがなければ、どんどん作る人は減っていく一方だったかもしれませんね


