2024.04.19

誰かの記憶の風景を作り、まちに「大切さ」を取り戻す。ドーナツも売る設計デザイナー・高坂裕子さんの挑戦

真剣に仕事や教育に向き合う大人の姿に導かれた少女時代


2025年には50周年を迎えるという長岡金型。その創業者一家に三姉妹の次女として生まれた高坂さんは、創業社長である父親の姿を見ながらこの場所で育った。


「私の小さい頃にはここにあった工場が自宅とつながっていたので、物心ついた頃から油にまみれた工作機械がいろんな音を立てながら動いているのを見てきました。学校から帰宅して、黙々と機械に向かう父の背中を横目に『ただいま』と言うのが私の原風景。だから、今でも機械油や灯油の匂いに惹かれます」


20代で「会社を作る」と決めた父。その父親である祖父は、「かつて自分ができなかった起業の夢を息子がなし遂げるのなら、それを支えよう」と、当時勤めていた会社を退職。その退職金を使って、親子でこの工場を築き上げた。そんな家族の影響を大きく受けながら、高坂さんは育った。「父はものづくりのことしか考えていないような人でしたから、自宅に帰ってきても食卓に図面を広げて、『ここが、もっとこうなれば……』なんて言いながら睨めっこしていました。本当に楽しそうにそれをやっているので、私も子供心に『仕事って、楽しいものなんだな』と思って育ちましたし、自分も当たり前にそういう大人になるんだと思っていました」


信濃川沿いに建つ金型ビル。2階に「Sponge」「somewhere」、3階に「ひねもす大学」が入る

子どもの頃から絵を描くことが好きだったという高坂さんはやがて美術予備校に通い、美大への進学を考えるようになる。専攻しようと思っていたのはグラフィックデザイン。しかし、当時の高坂さんには、平面構成や色彩学を学んでいくことが自分にとってのリアリティから少し遠いもののように思えた。


「そんなときに、『大改造!劇的ビフォーアフター』という、建築士や佐官職人など“匠”と呼ばれる人が民家や店舗のさまざまな困りごとをリフォームで解決していく番組を見て、大感激したんです。次の日には、予備校の先生に『私は“匠”になります!』って宣言していました(笑)。誰が聞いても笑いのタネになるような話ですが、その先生は一切笑うことなく『だったら、ムサビ(武蔵野美術大学)の工芸工業デザイン学科に行きなさい』と教えてくれたんです」


若者の勢い任せの話を無下に切り捨てることなく、真剣に聞いてくれ

引用元
な!ナガオカ
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