「最後に笑ってやろう」勢いから始まった百笑会30年の歩み
(写真提供:百笑会)
百笑会は、前身となる存在の誕生から数えて30年の歴史を持っています。1996年のこと、長岡市関原地区の4軒の農業者が、高額な農機具を共同で購入・使用するための組合「西部百笑会」を立ち上げたのが始まりでした。メンバーの一人である池田さんの祖父だけが専業で、ほか3軒は兼業。すべて合わせて10ヘクタール程を担う小さな組合でした。
「組合名は、行きつけの飲み屋のオヤジさんが勝手に決めたそうです。その意味は『人に笑われないようにしよう』『最後に笑ってやろう』。高額なトラクターやコンバインを個別購入するのが当たり前の時代に結成したけど、上手くいくかどうかは分からない。でも最終的には成功してやろうという気概があったようです」
一方、当時10代だった池田さんは農業者の道を志し、新潟県農業大学校に進学。卒業後は、上越の大規模農業法人「大潟ナショナルカントリー」に就職し、3年間働きました。この上越での経験が、池田さんの農業観を大きく変えたといいます。
「100ヘクタールを経営する県内最大規模の法人で、若い農業者たちが部活みたいに競い合いながら仕事をしていました。『俺の方が多く仕事した!』『きれいに仕上げた!』と、技術や速さを競争しているんです。それまでの『おじいちゃんおばあちゃんがやる農業』とは全く違う活気のある光景に衝撃を受けました」
この体験を通して、池田さんは「若い人が働ける農業法人を作りたい」というビジョンを掲げるようになりました。そして2000年に地元に戻り、農業を再開。帰郷当時、池田さんの祖父は西部百笑会から抜けて田んぼを人に貸していましたが、再び農地を自分で管理することにし、池田さんは組合に参加しました。
「当時私の年齢は23歳。この若さでの就農は地域では異例で、周囲から期待されていましたね。50代以上の先輩農業者に混じって、希望と共に不安も抱えながらスタートをきりました」
(写真提供:百笑会)
その後、若い池田さんが加入した百笑会には、高齢で米作りを続けられなくなった周辺の農業者から「田んぼを引き継いでもらえないか?」という相談が次々と舞い込みます。長年この地で農業を続けてきたからこそ簡単にはやめることはできない、誰かに託したい、


