ジャイアント馬場一色だった昭和の長岡プロレス事情
写真左から桜井秀樹さん、宮本茂さん、宮本望さん。なお、取材には、宮本家の息子たち、力さん、真さんにもご協力いただきました。メイン写真でお三方と一緒に写っているのは長男の力さんです。
今回の長岡プロレス談義、ご登場いただくのは、ひとつ前の記事に引き続き、プロレス推し居酒屋「のみくい処みや」のマスター宮本茂さんと女将の宮本望さん。そして、長岡のプロレスに詳しく、「みや」とも縁が深い、長岡市役所の桜井秀樹さんに来ていただきました。
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桜井秀樹さんは元々、望さんのお兄さんの友人として、「みや」に初来店。その日のうちにプロレス談義で大盛り上がりし、以来ご夫妻とは20年の付き合いがあるそう。そして、ただのプロレス好きの公務員というわけではなく、実は、アオーレ長岡でのプロレス興行の実現の立役者なのですが、その話は後ほど。まずは、昭和から平成にかけての長岡のプロレスの思い出を語っていただきましょう。
今は選手のサインが並ぶ壁面には、以前はシーズンごとの興行のポスターを貼っていたそう。「夏になるとマスターが自慢の歴代G1 CLIMAXのポスターを貼っていくんです」(望さん)
「みや」には迫力あるプロレスの興行ポスターが何枚も貼られています。いつも同じものというわけではなく、宮本家のポスターコレクションから、マスターや女将、息子さんたちが折々にセレクトしているのだそうです。
桜井さん「みやでポスター見ると、子どもの頃を思い出すんですよ。自分が小さかった頃、プロレスの興行のポスターが街中の電信柱に貼られるのを見ると、もう、たまらなくてね。プロレスのポスターは自分にとって宝物でした」
昔は、あちこちにプロレスのポスター貼られていましたよね。それに、テレビの地上波で毎週プロレスの試合中継があって、プロレスが好きな人はかなり多かった印象です。桜井さんは初めてプロレスを見に行ったのはいつですか?
桜井さん「私は今55歳なのですが、小学4年生の頃、友人のお姉さんが友人と私を長岡市厚生会館のプロレスに連れて行ってくれたんですよ。初めてプロレスを見て、こんなにすごい


