日航機事故から26年目の夏

部長の古沢です。
早いもので26年目になるそうです。
当時、群馬県の高崎市に住んでいた私は早いお盆の帰省で新潟の実家(燕市)にいました。
ウダルような暑さだったと思います。
事故の様子はテレビで見ていましたが、実家にいてもすることもなく13日の早々に「帰るわっ」と言うことで親不孝者の私は自分勝手に戻っていったのを記憶しています。
途中関越自動車道の藤岡を過ぎたあたりからヘリコプターの飛ぶ音が聞こえはじめ、高崎に着く頃には上空を何便も飛んでる様子が異様だったと今も覚えています。
翌日、藤岡方面へ車を向けるも、なんとも言えない静けさと慌ただしさが交錯するような、やはりいつもと違う感じを受けました。
当時、市内のタクシーはすべて日航関係で予約され一台も無くなったと後で聞かされました。
一瞬にして本当に多くの命が失われ、ことの大きさに気づくまでに少し時間が必要だった、振り返るとそんな記憶です。
身近に起きた大参事、自分の中では風化することなく、今でもヘリコプターの音が蘇ります。

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